微笑み輝く方々の作品や出来事です。ご堪能ください。


92才のYaekoさんが60代の時に描いた砂絵や土絵です。

観ていると時を忘れます2018.10.19


「シワシワの笑顔」


「おはようございます」
「おはよう、ずいぶん早いね、センセイ」
「おばあちゃんの顔を早く見たくてね」
「このシワシワかい」
「そう、そのシワシワの顔」
おばあちゃんはシワシワの顔をさらにシワシワにして笑う。

彼女は百年以上も生きてきた。
長生きをしていると「お元気ですね、おいくつですか?」と聞かれることが度々あった。
その度に「あんたとおんなじくらいだ」と微笑みながら応えていた。
品が良く洒落の効いたおばあちゃん。

道南の山間で暮らしていた子どもの頃、稗粟黍などを食べていた。
小学校にあがる直前、トクシュンベツから小樽へ家族みんなで歩いて大移動。
倶知安の街の明かりを見たとき「都会だ」と子ども心に思った。

小樽では、母親と共にニシンを運んだ。
小さな背中に大きなモッコを背負って、山の上の銀鱗荘へ。
途中の線路では長〜い貨物列車が通るのが嬉しかった。ゆっくり進む貨物列車を見ながらからだを休めた。

ゴム会社で働き始めた若い頃、友達とふたりで職場を抜け出し美空ひばりを観に行った。
その歌声に胸ときめかせて職場へ戻ると「なにやってんだべ!」と課長に叱られた。
またある日、「見てみれ!暑寒別におっきな凧上がってるべ!」と友達に声をかけ、「どれ?」と外へ出た友達をからかって笑いあった。
小樽から見える暑寒別岳に上がる大きな凧、どんなに大きかったのだろうか?
山ほど大きくなければ小樽からは見えないだろうに。

夫は郵便局で働いていた。
「北の誉はオレがつくってやったんだ」が口癖なくらい酒が好きだった。
「たまには子どもにせんべいの一枚でも買ってきてやればいいのに」と思うこともあったが、酒がせんべいに変わることはなかった。

ずいぶんと歳をとってからもゴム会社で働いていた。
「歩合制だったから気が楽だったよ。働いているのが楽しかった」と穏やかなシワシワ顔で話す。

90代も半ばを過ぎた頃から、一緒に散歩をしたり日向ぼっこをしたりすると「ありがたいね」としみじみ言ってくれた。
寒い日には「冷たいね」と手を温めてくれ、部屋を出るときには「気をつけてね」と一声かけてくれた。

百歳のお祝いに使者が来たときには涙して賞状をもらっていた。
賞状やお祝いの品々を見ながら「ありがたいね、ありがたいね」と繰り返していた。
「私の百歳の時には一緒にお祝いしてくださいね」とお願いすると、尚一層シワシワの笑顔になっていた。
もう少し先ではありますが、私が百歳になった時には一緒に祝ってくださいね。

(シワシワ顔のおばあちゃんと院長とのやりとりの一部です。おばあちゃん、強さと優しさをありがとうございます。2018.11.30)

いつも前向きなMiwakoさん 90才を過ぎても筆を持つ

「ちゃんとする」ことをちゃんと教えてくださいました。ありがとうございます。2018.12.21